Yさんのご逝去

 Yさんが急逝されてまもなく四十九日。昨年7月の北欧旅行のあと夫人の咳が止まらないので検査し、膵臓と肺にがんが見つかった。夫妻に呼ばれて市民病院でお会いしたとき、夫人は「私が居なくなったらこの人は一人で暮らせない」と夫のことばかり心配していた。夫婦で東京に居を移し通院治療。終末期ケアで県内に戻り、今年2月に夫人は死去。炊飯器の使い方も分からないYさんは、妻を亡くした悲嘆とともに、自立生活の困難さにも直面した。たびたびお会いし、悲しみへの対処や生活の助言をさせて頂いたけれど、どれだけ役にたったのか。
 家政婦さんに毎週来てもらい食事の作り貯めや掃除をお願いし、何とか生活を立て直そうとしていた矢先だった。夫人の病気が分かってから一人暮らしまで、相当なストレスの毎日だったのだろう。くも膜下出血で亡くなっているのを、家政婦さんが見つけた。一緒に三陸旅行し、再会の約束をして別れた翌々日だった。夫妻が最も信頼し、Yさんが土産を渡しに出かけた、かつての部下の女性が元気な姿を見た最後だった。
 東京出身の夫人と共に、本人の希望で夫人の実家の墓に先週末収まり、ようやく一緒になれた。東京に居を移しての治療の日々を「大変だったけど、青春時代の二人に戻ったようで楽しかった」とも話していた。

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猪股征一