青少年義勇軍が見た満州
2021/08/21
千曲市の県立歴史館はわが家から車で45分。その遠さが億劫になり後回しにしていた「青少年義勇軍が見た満州」を開催期間残り二日になって、見に行きました。コロナ禍にもかかわらず、会場は賑わい、全国で最も多くの隊員を送り出した、長野県民の真面目さ?に感心。満州事変から90年の節目に開催した歴史館はさすがです。北原白秋や田河水泡らが満州の夢を煽り、教師の職能団体である信濃教育会が、満州へ生徒を送り出すため、様々に手を広げる。蚕糸の暴落による貧困だけでない、多数の生徒が満州へ渡った背景が分かります。挙げ句の果て、シベリア抑留になった生徒たちが残した記録は胸が痛みます。
満蒙開拓平和記念館(長野県下伊那郡阿智村)が撮影した、義勇軍に加わった教師のインタビューも放映していましたが、全国から集まった義勇軍の教師の研修所から、ソ連参戦で犠牲になる辺境地に行った事について「『行かされた』という意識はなかった。自分たちチームが優等生なので選ばれたという意識だった」と話していました。
世間や社会が求める優等生になる危なさに対する免疫を、今の若い人たちは持っているのだろうか、考えながら帰宅しました。
満蒙開拓平和記念館(長野県下伊那郡阿智村)が撮影した、義勇軍に加わった教師のインタビューも放映していましたが、全国から集まった義勇軍の教師の研修所から、ソ連参戦で犠牲になる辺境地に行った事について「『行かされた』という意識はなかった。自分たちチームが優等生なので選ばれたという意識だった」と話していました。
世間や社会が求める優等生になる危なさに対する免疫を、今の若い人たちは持っているのだろうか、考えながら帰宅しました。