準・鎖国、準・鎖県の憂鬱

 コロナ禍の一番は、若い人が海外で見聞を広められなくなる影響、という内田樹さんの指摘(信毎9月8日夕刊)は、数日たった今も重く胸に残る。私自身の経験でも、海外を知るには「生身を現場に放り込むのが最も確実」だからだ。町内にある県立長野西高校で2年生は修学旅行で沖縄に行く。その前に文化祭で沖縄について勉強した成果を展示する。ところが、今年は沖縄は中止、県内の小旅行になった。先生たちが悩んだ上での結論だろうけど、残念だ。
 米軍基地に囲まれた土地に身を置くだけで、沖縄県民の4人に一人が戦死した日本史の一端を考えられたかもしれない。長野市の小、中学校の校長会は、京都、奈良、東京への修学旅行を取りやめることを確認。各校ごとに長野県内を中心に行き先を検討している。修学旅行にふさわしい見学先は県内にもあろうけど、寂しい。
 内田さんの言う「準・鎖国」どころか、「準・鎖県」になってもらいたくない。養蚕が主産業だった時は世界の絹相場への関心を通し、精密電子に代わっても輸出先の世界経済への関心を通し、信州人気質は、いつも視野を世界に広げて、先取の精神を養ったところにあると思うからだ。
準・鎖国、準・鎖県の憂鬱

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猪股征一