立原道造の浅間山麓

 軽井沢・大賀ホールで日本ペンクラブ主催のイベント「立原道造の浅間山麓」を聴講しました。高校時代、彼の詩を好きになり、多くの詩の背景になった軽井沢・信濃追分を大学時代、何度も訪れたことが信州との縁を作りました。吉岡忍さん(ペンクラブ会長)監修の映像ライブで1939年24歳で亡くなる直前の地、長崎を取りあげるなど、ロマンチックな青春だけでなく、日本が戦争に突き進む中で追い込まれた暗い心の動きを取り上げたのが斬新でした。第3部の座談会で、戦時中も生きたら立原はどんな詩を書いただろうか、との司会・山田健太さんの問いかけに加賀乙彦さんが、戦争ムードの中で追い詰められていった記述をもとに「反戦の詩人になっていただろう」ときっぱり言ってくれた。うれしかったです。三好達治ら戦争詩を書いた詩人がいたからです。映像ライブで語りをした片岡一郎さん(活動写真弁士)、第2部で朗読した下重暁子さん、第4部での森ミドリさんの作曲・演奏による地元合唱団らによる合唱で、共通に取り上げた詩が「のちのおもひに」。私だけでなく、みんな好きなのだ。これも発見でした。

  「のちのおもひに」
夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しずまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
-そして私は
見てきたものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
立原道造の浅間山麓
立原道造の浅間山麓
立原道造の浅間山麓

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猪股征一