池内紀さんの死去

 先週5日(木)の新聞で、ドイツ文学者でエッセイスト、池内紀さん(78)が8月30日虚血性心不全で亡くなったと伝えられた。今も悲しい。信毎夕刊1面コラム「今日の視角」で毎週火曜掲載の原稿を、楽しみに読んでいた。切り口上でなく、柔らかな語り口ながら、世の中の流れに疑問を提起していた。信毎夕刊読者以外にも読んでいただきたく、最後の9月3日の「自転車対話」の原稿を写します。
              ◇
 近くに大学があって、若い人たちの多くが自転車を利用している。朝は寝坊をしたのか、風を巻くようにすっとばしていく。午後や夕方は2人が自転車を並走させて、話しながら帰っていく。ときには議論のようなやりとりが、並行した自転車から聞こえたりする。
 キャンパスには、木陰もあれば芝生もある。食堂、カフェ、教室、どこであれ、自転車を走らせながらよりはましだろう。そこでゆっくり話すなり議論をすればいい。
 キャンパスを歩いて気づいた。木陰や芝生に座っていても、食堂やカフェで向き合っていても、めいめいがスマホを手にして、ソッポを向いている。ときおり、見せ合って、ひとこと、ふたこと交わすだけ。夜はたいていアルバイトで、帰りの自転車の上しか話すときはないわけだ。
 私は20代でオーストリアへ留学したとき、外務省の役人で、日本にも赴任したことのある女性に注意された。日本人は対話のとき、愛想笑いを浮かべるが、やめた方がいい。相手の目を見ながら話を聞いて、聞き終わったら、相手の目を見ながら答えること。
 足かけ3年、忠実に実行したものだから、今でも対話のときなど相手の目をじっと見てしまう。たいていの人は視線をそらして、あらぬかたを見ながら話すようだ。
 並行した自転車で相手の目を見るなどありえない。話す方は、話しっぱなし。聞く方もまわりに気をとられて、ろくすっぽ聞いていないのではなかろうか。駅に着いて電車に乗ると、それぞれがスマホに向かう。
 何か間違っている気がするが、これが今の世のありようとすると、それなりに秩序づいているのだろう。存分に話し合ったときの爽快感を忘れずにいる者は、目をつむって過去を見入っている。

< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
カテゴリ
QRコード
QRCODE
インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 3人
プロフィール
猪股征一